NHK

    603 :ぽめぷー速報 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2004/06/29(火) 04:13:00 ID:IEaqP322
    俺が生まれた時から家の隣がアパートなんだけど、
    どっちも木造の古い建物で家との隙間が少ししかないから、いろんな生活音が聞こえる。
    んである時の夜、隣からテレビの音量がでかかった。
    番組はNHKらしい。もう寝てると内容が分かるくらい音が大きい。
    うるさいけど隣のその部屋は身寄りのないおじいさんだから、耳が遠くなったんだろうなと思っていた。
    その日は我慢して次の日の夜になった。
    相変わらず音がでかい。
    NHKのあの独特のアナウンサーの声というか、低音が響いてる。
    なんでこんなにうるさいんだろ?俺は家の壁を聞き耳を立てていた。
    番組は若者向きの音楽になってもチャンネルを変えない事に気づいた。
    おじちゃんがそんな番組見るのだろうか?
    なんかいやな胸騒ぎがしたんだけど、隣のアパートとは交流も無いし転寝をしているのかもと思って黙っていた。
    そして日曜日の朝になった。誰かが訪ねてきた。
    新聞配達人だ。
    おかんの話によるとなんでも新聞が3日分も郵便受けに溜まっていて、
    配達人が不信に思いアパートの住人に訪ねたんだけど、誰も出てこなくそれで俺の家に来たということらしい。
    それで警察に連絡。
    警察と大家がドアを開けるとそこにはおじいちゃんが倒れていた。
    タヒ後2日・・・脳内出血で倒れた時にはまだ意識があったのか、爪に畳のワラが挟まっていたんだって・・・
    もしかしたら俺があの時気づいて大家に連絡してれば助かったかも知れない。
    そう考えると胸が痛い。
    でもなんで住人が不思議に思わなかったのか・・・

    隣のアパートのその部屋はいまだに空いている。

    372 :ぽめぷー速報 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2014/08/02(土) 13:41:16 ID:1w5XPL2h7
    復讐になったかはわからないが。

    私は8歳離れた弟がいたのだが、生まれつきの難病で、ずっと病院で暮らしたまま、2歳になる前にタヒんでしまった。
    私も悲しかったが、毎日見舞いをしてた両親は勿論もっとショックで、抜け殻のようになってしまった。

    私は母親の弟の産後からせっせと家事を手伝っていたのだが(なにせ二人ともほとんど病院にいる)、弟のタヒ後も一層、
    抜け殻の両親を支えるため家事を担うようになった。

    某国営テレビが、難病でタヒんだ弟と家族についてということで取材に来た。それから両親はいくつか講演に呼ばれた。
    その難病の支援者団体にも参加するようになった。
    両親とは顔を合わせない日が続いた。

    近所には伯母(父の姉)が住んでたのだが、もう子供達が自立して家を出てる歳で、「いつでも遊びにおいで」と
    言ってくれて、本当に毎日遊びに行っていた。

    初めは、伯母の家で放課後を過ごし、買い物して家に帰って家事をやってた。
    段々、家で家事を済ますと晩御飯を伯母の家で食べ、そのうち泊まるようになり、一時間、一分と段々自分の家
    で過ごす時間は無くなり、高校生の頃は、家の私の部屋は何の荷物も無くなった。
    大学は地方の国立に行って、家庭教師のバイトしながら暮した。

    お金は親の通帳を私が持ってたので(任されていた)、進学などの最低の費用だけ貰った。
    親は私がどこの高校に行ったか、どこの大学に行ったか知らない。
    伯母は私の親代わりをしてくれるけど、両親の悪口を言ったことはなく、両親にも
    何も叱ったりはしていないようだった。
    「子供を亡くす気持ちは私にはわからないから」とだけは言っていた。


    30を過ぎて、何故か突然父親から手紙が来た。
    私が結婚して子供が生まれたことを知っているようだった。
    許してほしい、会いたい、というような内容だった。

    「会っても何を話していいかわからないので、お互いのためによしましょう。
    昔は貴方たちを恨んでいたが、子供を持った今となっては恨めなくなりました。
    弟を奪った病気は、私も一緒に貴方たちから奪ったのだ、と思って、今後も○○病の支援に打ち込んで下さい」
    と返事したら、もう連絡は来なくなった。

    弟が生まれるまでの両親との楽しい思い出もあり、胸が痛んだが、両親もあの病気が奪った
    のだと思ってもう諦めている。








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